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日本礼賛論について

 最近、日本礼賛論が流行している。書店の棚を見れば、テレビをつければ、「世界の人が驚くニッポンの凄さ!」みたいなタイトルで溢れている。こうした流行に批判的な多くの人は、日本人の不安と自信喪失を象徴しているものと解説している。そうした解説が間違いだと言いたいわけではないが、やはり表面的な印象論という以上のものを感じないので、なぜこうした日本礼賛論が流行しているのかについて、ここで簡単に述べておきたい。

 振り返れば、ここまで自己賛美的な日本人論の流行は戦後史の中で初めてのことである。戦後間もなくは、丸山真男に代表されるように、悲惨な敗戦を導いた日本人性の病理的な側面を描き出す議論が大半であり、それに対して欧米社会は説明するまでもない、日本が目指すべきモデルであった。まだ貧しかった日本社会の現実は、こうした議論に強い説得力を持たせていた。

 高度成長を経験する1960年代以降、中根千枝など日本人の特性を体系的に描き出そうとする議論が多く生まれた。これは、経済的・社会制度的には欧米社会に近づくにつれて、かえって欧米との落差やズレが具体的に意識されるようになったためである。しかしこの時期の日本人論は、学術用語を用いたものも多く、読者も相対的に限られており、大衆的に受容されたものとは言えなかった。

 1990年代以降は、学術や雑誌論壇において日本人論は完全に衰退した。しかし他方で、一般書やテレビ番組レベルでは、日本人の異質性を批判したり茶化したりするような本や番組が量産されていった。90年代末の『ここがヘンだよ日本人』は、その代表的なものと言えるだろう。また政治の水準では、新自由主義的な構造改革論が展開されたが、これはウォルフレンなどの日本異質性論を下敷きにしたものであり、バブル崩壊以降の日本の経済停滞を説明するものとして説得力を獲得した。80年代までは知的意欲のある読者のみを対象にしていた日本人論は、通俗化された形で大衆的に広く消費され、そして政治レベルでも応用されていった。

 以上のように、2010年代以降の日本礼賛論は、直前の90-2000年代までの大衆的・政治的な日本異質性批判の流れを受けたものであると理解される必要がある。『ここがヘンだよ日本人』的な番組は、日本人の自己反省が一巡すると次第に飽きられ、「脱官僚」を掲げた民主党政権の失敗などで、日本異質性批判を根拠にした構造改革論も、以前の勢いを完全に失った。こうした中で日本礼賛論が、「意外」かつ「新鮮」なものとして、急速に読者と視聴者を惹きつけているわけである。

 そもそも、日本の異質性を批判する根拠である外国が、規範的な基準に全くならなくなった。構造改革論の当初のモデルだったアメリカは、イラク戦争とリーマンショック以降に完全に色あせてしまった。治安、衛生、交通や上下水道のなど公的インフラ、飲食店のサービス水準など、先進国の中で日本が最も優れている部類であることは、現在の日本礼賛論に批判的な人でも否定していない。こうして外国を基準に日本を批判するという手法は、既に説得力を完全に失ってしまっている。

 そして既に指摘されている通り、オリンピックと観光立国によって日本の良さを再発見しアピールしていくことが、喫緊の「国策」になっている。メディアにとっても、日本礼賛論はリスクやコストが極めて少ない「優良コンテンツ」である。日本異質性批判は、扱っている話題によっては、最終的に社会問題の解決への真摯な取り組みがメディアに求めらるし、特に中韓関係にも関わるものであったりすると、「炎上」を避けることは困難である。日本礼賛論にはそうした責任が全くかからないだけではなく、場合によってはコンテンツを提供している企業や自治体から支援を受けることさえできる。

 以上の要因が、今の日本礼賛論をもたらしていると言うことができる。私は日本礼賛論には当然批判的だが、それは、そもそも日本を総体として批判すべきとか賞賛すべきとかいう態度や議論そのものが、完全に間違っていると考えているからである。優れた伝統文化があり、解消すべき差別・排除の問題があるとしても、それを性急に「だから日本は・・・」という物言いに回収しないことが、そうした文化の内実を真に尊重し、差別問題をより具体的に捉えていくことになることを理解すべきだろう。

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