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2010年9月

スウェーデンで福祉ショーヴィニズム政党が躍進中

 スウェーデンでも福祉ショーヴィニズム政党が躍進中という記事が出ていた。

スウェーデン総選挙、極右政党議席獲得の勢い

 北欧スウェーデンで19日に実施される総選挙(定数349、比例制)で、移民排斥を公約する極右の小政党・民主党が初めて議席を獲得する勢いを示している。

 中道右派の与党連合、4年ぶりの政権奪回を狙う左派の野党連合とも過半数に達しない場合、民主党が次期政権の枠組みのカギを握り、混乱が起きかねないとの懸念が強まっている。

 14日公表された世論調査では、ラインフェルト首相の穏健党が主導する与党4党連合の支持率は50・3%。社会民主労働党を中心とする野党の左派3党連合の43・8%を上回っているが、過半数を確実に超えるとは言えない状況だ。

 こうしたなか、存在感を強めているのが「イスラム教徒は社会の脅威」と公言してはばからないスウェーデン民主党だ。前回総選挙での得票率は2・9%だったが、最近の世論調査では4~8%の支持を得ており、議席獲得の条件である「4%以上の得票」を満たす可能性が高まっている。

 同党のジミー・オーケソン党首(31)は読売新聞との会見で「仕事をせず、税金も払わない移民に失業手当などの特典を与え、社会福祉制度のただ乗りを認め続ければ、今の制度は崩壊する」と断言。「7~9%は得票し、国会でキングメーカーになりたい」と述べ、次期政権の枠組み作りで主導権を握ることへの意欲をみなぎらせた。(ストックホルムで 大内佐紀)

(2010年9月16日20時04分  読売新聞)
 過去のスウェーデンや北欧諸国の実績からすると、ワークフェアと社会保障を同時に強化することで乗り越えてきた、つまり就労支援・促進を通じた移民の社会統合という道を歩んできたわけであるが、今回はどのように対処するのか注視されるところである。

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「福祉ショーヴィニズム」再考

 前回の続きで、自国の社会保障を維持・充実させるために、外国人や移民に対する福祉サービスを批判・攻撃するような現象を、今回は「福祉ショーヴィニズム」の語に統一して、日本で「福祉ショーヴィニズム」が盛り上がるとしたらどういう条件の下においてか、ということについて再考してみたい。

■ 現代日本における福祉ショーヴィニズムの事例

 日本では福祉ショーヴィニズムの動きは弱いと前回書いたが、もちろん全くないわけではない。以下に、具体的な事例を二つ挙げておきたい。

 一つは、例の排外主義団体である「在特会」である。「在特会」は設立当初から、在日韓国・朝鮮人が年金給付を要求していることを激しく批判していたが、最近も「在特会」は無年金外国人に給付金を支給する、「在日外国人等高齢者福祉給付金」を攻撃対象にしている。「在特会」の主張によると、「年金の掛け金を一円も払っていない」のに、「日本人をないがしろにして、朝鮮人を優遇する社会保障制度」であるという(http://aikokusens.exblog.jp/14879392/)。

 しかし、そもそも「在日外国人等高齢者給付金」という制度は、どういうものなのだろうか。結論的にいえば、これは外国人向けの福祉政策というよりも、「戦後処理」の一貫として出来た制度である。給付要件が、大正15年(1926年)以前に生まれた人、つまり敗戦時に既に20歳になっていた在日外国人のみに限定されているからもわかるように、(はっきりとは明記されていないが)これは基本的には外国人一般ではなく、戦前に台湾・朝鮮半島など植民地から「日本国民」として渡ってきた人を対象にした制度である(「枚方市役所高齢社会室のページ」)。つまりこの「給付金」制度は、1990年代以降に急増した外国人労働者はもちろん、在日韓国・朝鮮人であっても70代以下の世代は無関係であり、有資格者も若くて80代後半になっていて、その人数もたかが知れている。だから、これを懸命に攻撃する「在特会」の主張は、「移民排斥」と一体化しているヨーロッパの福祉ショーヴィニズムと比べると、あまりに中身がないとしか言いようがない。

 また「在特会」とは逆に、「在日外国人にも年金給付を」という社会運動も存在していることはしているが(「在日外国人高齢者・障がい者無年金問題のページ」)、ごく小規模でメディアもあまり取り上げていない(主張の是非についても、厳密な判断は法律の専門家に任せるしかないが、正直言ってあまり説得的には思えない)。当然ながら、こうした動きに反発する福祉ショーヴィニズムの運動が、社会的に盛り上がるはずもないわけである。

 もう一つは、今年の7月に大阪市で起こった、来日したばかりの中国人48人が生活保護を申請して一旦は受理され、市長がそれを不正であるとして即座に取り消したという事件である(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/localpolicy/438790/)。この事件に対してネットを中心に見られた反応は、「財政が厳しいなかで日本国民でも簡単に受けられないのに」という、まさに典型的な福祉ショーヴィニズムのそれであった。たとえば、ある「ネット右翼」系の人気ブログでは「日本の憲法を遵守せず、日本社会を嫌い、あるいは侮辱、敵視し、一国の中にそれぞれの別国家を形成するかの傾向が特に強い特亜の外国籍者を、日本に来たからといって、それが親族である、との言い分をもとに、さしたる検証の跡も伺えず、直ちに「生活保護」受給の対象とする」ことは、「日本の財政は貧窮に瀕する」「日本国民のための「高齢化社会」は吹き飛ぶ」結果を招くと批判している(http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-3594.html)。

 生活保護は受給要件が厳しいと言われているが、逆に言うと要件さえ形式的に満たせば、事情がどうであろうと国籍とは無関係に受給することができる。特にこの問題では、「貧困ビジネス」系のブローカーが、生活保護申請の手引きをしていたと言われている。生活保護有資格者に外国人は少なくないが、それは仕事だけではなく頼るべき親族や友人もいない、文字通りの「貧困者」が日本人に比べて相対的に多いという以上の意味はない。「外国人だから甘い」わけでは決してないことは明らかだが、多くの人は「われわれ日本人には厳しいのに」と、ナショナリスティックなルサンチマンを募らせる結果になっている。

■日本で福祉ショーヴィニズムが盛り上がる可能性

 こうした福祉ショーヴィニズムは、日本ではネット上で断片的に見られるだけで、あくまでごく一部にとどまっており、ヨーロッパのように、こうした主張を直接代弁する政治勢力は存在していない。日本で福祉ショーヴィニズムがさほど盛り上がらないのは、そもそも外国人労働者の数が(法的あるいは言語的な障壁のために)EU諸国などに比べて相対的に少ないこと、そして日本における「ナショナリスト」の関心が軍事・外交・歴史などの問題に集中していて、福祉の問題にはほとんど無関心であることがある(可能性としては、保守ナショナリストの平沼赳夫と福祉国家志向の与謝野馨が共闘している「たちあがれ日本」だが、福祉ショーヴィニズム的な主張は一切なく、それ以前に世論の支持をほとんど得られていない)。

 では、日本で福祉ショーヴィニズムが支持を集める可能性は皆無なのかというと、もちろん状況によってはあり得ると考える。それは、まず単純労働を中心とする移民の受け入れ政策が大規模に展開された上で、同時に社会保障給付の抑制・削減が進められる場合である。つまり、政府の支援を求める生活困難な在日外国人が増えると同時に、日本国民の側が「長年まじめに年金を払ってきた自分たちだって減らされているのに」と反発するというシチュエーションである。移民受け入れと社会保障の抑制を同時に唱える政治勢力は(主張そのものは「リベラル」であるが)日本の中にも一定数存在するので、こうしたシチュエーションが出来上がる可能性は皆無ではない。簡単に言えば、「バラマキ福祉をやめて、単純労働の移民もどんどん受け入れて、そうした移民との競争を通じて経済の活性化をはかるべき」という政治的主張が(特に今のデフレ不況下で)現実化するようになれば、日本でも福祉ショーヴィニズムが吹き荒れるようになると考えられる。

■心配される日本の政治情勢

 将来、緩やかであるとは言え、日本社会のなかに移民が増える傾向が逆流することはないだろうし、それ自体はある意味で好ましいことではある。そうだとすると、これが福祉ショーヴィニズムの火種になることを未然に防ぐには、いわゆる「大きな政府」にしていく、つまり社会保障制度を通じて外国人の社会的な包摂・統合を図っていくことが現実的な対応であろう。前回、「福祉国家は反ナショナリズム的」という言い方をあえて行ったのは、こうした問題意識に基づくものである。

 ただし、社会保障を通じた在日外国人の社会的な包摂・統合を実現する場合、税と社会保険を通じて「国民負担率」を高め、「負担の再分配」を通じた社会的連帯の構築を政治的に実現していく必要がある。この点で最も心配されるのは、今の日本では、これとは正反対の方向の政治勢力が、「負担増の前に無駄遣いの削減を」というスローガンとともに、相対的に高い支持を得ている状況にあることである。

 日本国民の高齢者への福祉給付が抑制され、低賃金の若い世代が保険料負担の重さに不満を抱えるなかで、というよりもそうした不満を政治家やメディアが煽るなかで、国の福祉に依存するような低賃金外国人労働者が増えるようなれば、福祉ショーヴィニズムに火がつくようになることは確実である。「無駄遣い」の矛先は、いまのところ「天下り」「公務員の給与水準」のような問題に集中しているが、何らかのきっかけで移民や在日外国人の福祉に向く危険性はないとは言えない。

 今のところ、日本で福祉ショーヴィニズムが盛り上がっていないのは、ある意味で「幸運」なこととも言えるが、別の側面から見れば、「負担の再分配」を先送りしてきたことの問題の顕在化を阻害してきたと言うこともできる。つまり、社会保障の問題が「外国人」を焦点にして起これば、それは不当な差別や社会統合の危機の問題として意識され、政治がそれに対処すべき問題として扱われた可能性があるが、日本では社会保障の不足が自国民つまり若年非正規雇用に集中的に起こっているので、依然としてそれが社会統合の危機の問題として、政治家・官僚にも国民の側にも意識されずにいる(せいぜい「世代間格差」という比較的穏健なテーマに収斂してしまう)わけである。

■「ワークフェア」「ベーシック・インカム」との関係

 最後に、「ワークフェア」「ベーシック・インカム」と福祉ショーヴィニズムの関係についても簡単に述べておきたい。宮本太郎氏によると、北欧で1990年代以降に支持を拡大しつつある福祉ショーヴィニズムは、北欧諸国におけるワークフェア原理の強さが移民の福祉への「ただ乗り」を許容させないためであると説明されている(「新しい右翼と福祉ショービニズム」斎藤純一編『福祉国家/社会的連帯の理由』ミネルヴァ書房、2004年)。日本にも、「仕事なんか探せばいくらでもある」的な、独特のワークフェア文化が強固に存在するので、上述の生活保護集団申請のような事件が頻発すれば似たような状況に陥る可能性は高い。
 
 では「ベーシック・インカム」が、福祉ショーヴィニズムを超克するものなのかと言えば、自分はそうはならないと考える。ベーシック・インカムも、財源が中間層の相対的に高い税負担に依存する以上は、「ただ乗り」批判が完全に免れることはないだろう(自分の見るところ、BI論者の多くはこの問題を軽く考えすぎているように思われる)。それに前回も述べたとおり、ベーシック・インカムは給付の範囲の明確さや厳格さを、就労実績などによって段階的・間接的にではなく、純粋に政治的に直接決定しなければならないので、誰が正当な給付資格者なのかということをめぐって、ショーヴィニズムがいっそう激化する危険性も否定できない。

 宮本氏が指摘するところでは、スウェーデンのようにワークフェアの重点が業績原理よりも就労支援に置かれるようになれば、ワークフェアは福祉ショーヴィニズムの防波堤ともなりうるという。政策論としてはワークフェアを基本としつつ、その暴力的側面をベーシック・インカムの哲学で緩和するというのが中途半端な自分の立場だが、これについてはまたあらためて考えたい。

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