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2010年2月

現代日本における民主主義の危機

「無党派層」の消滅

 2005年の「郵政解散選挙」以降、日本の民主主義が明らかにおかしなことになっている。選挙のたびに極端な結果が出現し、それが1年も経たないうちに失望や幻滅へと急転直下するという、その繰り返しになっている。多くの国民・有権者が、どの政治家や政党を支持したらいいのかについて、完全に途方に暮れている状態であると言ってよい。

 これは、従来言われてきた「無党派層化」なのではない。無党派層とは既成政党の「間」をとるという意味であるが、今の有権者はむしろ、その時々の選挙で自民党や民主党の熱狂的な支持に回っている。そして、その支持が1年と続かないところにも特徴がある。無党派層とは、あくまで既成政党の支持が安定している時代に意味をもった概念であり、現在は無党派層が消滅したと表現したほうが適切である。

「構造改革」と政治疎外

 どうしてこんなことになっているのか。私はやはり、一つに橋本政権から小泉政権に至るまでの「構造改革」に原因があると考えている。「構造改革」では公共部門の「民営化」が進んだが、それによって公共的な問題に対して政治が関与できる領域が狭まってしまい、結果として一部のブレインや財界関係者による(責任の伴わない)独断的な政治が強まった。「民営化」それ自体は民意の支持の下に推進されたものであるが、皮肉にも、そのことが国民の間に強い政治的な疎外感を生み出すことになったのである。

 「かんぽの宿」の売却問題が、この矛盾の象徴である。本来なら、とくに有権者が「郵政民営化」を支持したなら、経営者が市場価格に基づいて施設を売却することを非難するのはおかしい。しかし、世論は公共的な財産が一部の利害関係者のほしいままにされている、と強い反発を示した。「構造改革」を支持してきたエコノミストたちは、世論に対して「売却は当然」と強く反論したが、それ自体は正しかったとしても、民営化が「民主的なコントロールからは離れる」という側面があることをきちんと説明してこなかったことは、彼らの大きな責任である。

 地方政治もそうである。規制緩和の流れの中で、東京資本の大型店舗やコンビニが地方の風景を席巻して日常生活に欠かせないものになった。そのことは、いわゆる「まちづくり」が、東京の高層ビルの会議室における決定に大きく依存するようになり、地域住民が主体的に関与する余地が少なくなったことを意味している。いま「地域主権」を掲げる政治家たちは「霞が関」批判が中心で、こうした問題についてはまるで無関心であるのが不思議である。

 そして最後に、大幅な歳出削減と増税回避(むしろ減税推進)が、結果として政治が関与できる領域を著しく狭めている。つまり、住民が政治に何かを求めようとしても、「財源がない」ということで、一方的にはねつけられる局面が増えているのである。例えば銚子市では、地域で唯一の総合病院の存続を住民が圧倒的に支持し、その存続を公約に掲げた市長が当選にしているにも関わらず、財源問題によって廃止されてしまったわけである。

「脱官僚」と「友愛」の矛盾

 鳩山民主党政権では、以上のような「構造改革」による政治疎外を埋めるべく、「脱官僚=政治主導」と「友愛」のスローガンを掲げている。しかし今のところ、「友愛」は政治的な混乱にさらに拍車をかけている状態にある。これについて、『現代思想』2月号で野口雅弘という政治学者が、日本の政治における「脱官僚」の矛盾を鋭く指摘していて興味深かったので(「「脱官僚」 と決定の負荷 ― 政治的ロマン主義をめぐる考察」)、それに即して述べておきたい。

 「脱官僚」というのは、政治的な決定の領域が拡大するということであるが、政治というのは、カール・シュミットによれば「敵」が誰であるかの「決断」を回避することができない。野口氏によると、鳩山政権における「友愛」のスローガンは、「敵」を作らないがための際限のない決断の先送りを生み出し、相対的に声の大きい人物(亀井静香など)の存在感を異様に高める結果だけになっているというのである。

 さらに上述のように、政治的な決定の領域そのものが、「構造改革」のなかで急激に狭まってしまっている。「脱官僚」がそのまま「政治主導」にならないというジレンマのなかで、国民の政治的な疎外感は一向に解消されず、「決断不足」ばかりが目立つようになっているのである。

「決断主義」のポピュリズム

 以上のように、現在は「構造改革」の中で深まった政治的疎外と、民主党政権における不決断とが重なって、途方もない政治不信を生み出している状態であると言ってよいだろう。その結果として、政治理念や政策そのものの評価ではなく、「決断力がない」「政治手法が古い」というただそれだけの理由で、内閣支持率が急落するようになっている。郵政社長の人事問題、「小沢支配」の問題、普天間基地の移転問題などはすべて「決断力のなさ」や「政治手法の古さ」によって批判された問題であり、それらの問題を具体的にどうしたいのかについてはさっぱり語られない(少なくとも盛り上がっていない)という状態にある。

 いま国民から拍手喝采を受けている「民主主義」とは、小泉元首相が採ったような、まず「危機」や「非常事態」を宣言した上で、わかりやすい「敵」を設定して一方的に攻撃するというものである。まさにシュミットの「決断主義」をポピュリズム化したような手法である(周知のようにシュミット自身この誘惑に負けてしてしまったのであるが)。ただし、自民党の「古い政治」の派閥抗争のなかで鍛えられてきた小泉元首相には、よくも悪くもユーモアやいい加減さがあり、清濁併せ呑む懐の深さがあった。この「決断主義」が、近年だんだん生真面目になっている傾向があるように思われるのだが、それには非常に危険なものを感じる。

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