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ベーシック・インカム的な福祉国家の可能性

 この1年の間に、「ベーシック・インカム」の議論が急速に盛んになっている。ここでも何度か言及したが、まだまだ一般的な認知は低いものの、明らかに一つの議論として市民権を得はじめている。

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 私も流行に流されて色んな本を手にとってみたが、個人的な立場はどちらかというと否定的な方向にある。まず既存のベーシック・インカム論を簡単にまとめた上で、それに否定的な理由について論じておきたい。

■三つのベーシック・インカム

 ベーシック・インカムの手法としては、具体的には以下の三つがある。

(1)完全ベーシック・インカム: 属性や所得の壁を完全に取り払い、国民全員に一律に同等の金銭給付を行うもの。この立場は、ベーシック・インカムを純粋に政治哲学として議論している人に多い。

(2)負の所得税: 所得税の累進課税を強化した上で、課税最低限を下回る所得の人には、所得水準に応じて金銭を直接給付するというもの。この立場は、ベーシック・インカムを政策論的に推進しようとする人(特に経済学者)に多い。

(3)給付つき税額控除: 減税政策や消費税の増税などを行った際に、一定の所得以下の人に減税分や増税分を直接給付するというもの。これは一部の国では既に導入され、日本でも具体的に検討されている。

■ベーシック・インカムの三つの長所

 このように、ベーシック・インカムは、再分配を金銭による直接給付によって行おうとするものであり、これは従来の「福祉国家」による制度的な再分配とは根本的に対立するものである。「福祉国家」と比較して、ベーシック・インカムの長所は、以下の三点に集約することが出来る。

(1)再分配のプロセスの透明性が高くなる。例えば、生活保護の受給者がバッシングに遭いやすいのは、制度運営に行政の恣意的な判断が強く働いているためである。ベーシック・インカムには、こうした恣意が介入する余地が少なく、国民の間の疑心暗鬼や不公平感を和らげることができる。

(2)分配された資源をどのように使うべきかについて、個人が決定する自由度が高まる。福祉国家では平等な再分配が生活の画一化をもたらしがちであったが、ベーシック・インカムはライフスタイルや文化の多様性との両立を可能にする。

(3)分配の手続きがはるかに簡素になり、行政コストが大幅に削減できる可能性がある。福祉国家には、制度を運営するコストが必要以上に膨張する傾向があり、ベーシック・インカムはこの問題を解消する有効なアプローチである。

■ベーシック・インカムに対する三つの批判

 以上の既存のベーシック・インカム論を踏まえた上で、少なくとも今の日本におけるベーシック・インカムの導入に対して、私がどうして否定的なのかを、簡単に述べておきたい。

 第一に、既存の社会保障制度と激しく衝突せざるを得ない。

 少なくとも、完全ベーシック・インカムあるいは負の所得税を導入する場合には、社会保険方式とは両立できないことは明らかである。ベーシック・インカムを導入しなければならないほど、現行の社会保障制度が修復不能なほど機能不全に陥っているのかと言われれば、やはり首を傾げざるを得ない。とくに、長い間医療保険や年金を支払ってきた人たちの「既得権」について、一体どう考えるのだろうか。

 第二に、経営者による安易な解雇がこれまで以上に横行する可能性がある。

 これまでの日本で解雇要件が厳しかったのは、労働者が企業という共同体のメンバーであり、生活上のコストを会社がすべて負担するという、日本型経営の雇用システムを前提にしてきたからである。そして、労働者の生活と生存がすべて企業に依存しているということは、経営者の側にも安易な解雇に対する心理的な歯止めになっていた。

 だから、ベーシック・インカムが導入されて、解雇されても最低限の生活が送れるようになるということは、経営者の解雇に対する心理的な負担が大幅に減ることを意味する。とくに日本のように労働組合の力が圧倒的に弱い社会では、安易な整理解雇が横行することになって、結果的に財政が破綻する可能性が高い。

 これに比べて、雇用と社会保障が結びついている「福祉国家」の場合は、もう少し解雇への歯止めがかかりやすいと考えられる。

 第三に、結局のところ社会的弱者に対する具体的な支援の道筋が不在である。

 ベーシック・インカムは、再分配を直接的な金銭給付に縮減し、「福祉国家」のような政策的・制度的な再分配についてはほとんど行わない。そうすると、たとえば貧困者に月8万の給付がなされたとしても、社会的な上昇の回路は依然として不在のままであるので、その少ない給付で生涯にわたって細々と暮らし続けていく人々が増える可能性がある。

 働かない人間がいても構わないじゃないか、と言い切るベーシック・インカム論者もいる。それ自体はその通りだとしても、現実にはあまりに無責任であろうし(「構わない」という世論が実際に形成される見込みは限りなく薄いから)、社会の持続可能な再生産という観点からも限界があることは明らかである。

 貧困者に対する具体的な支援は、政府ではなく民間企業とNPOに委ねればいいし、またそうあるべきだという人もいるかもしれない。しかし、日本では企業の社会活動の伝統もなければ、NPOの力量も依然として非常に脆弱であり、その運営費はほとんど税金による支援である。そもそも日本では、NPOの大前提となる寄付文化が皆無に等しい。
 
 むしろ、ベーシック・インカムは、悪くすると「税金で食っている癖に」「ちゃんと最低限の生活費は保障されているのに」と、社会的な弱者に対する自己責任論を蔓延させるだけの危険性もある。そもそも、貧困者は働く能力が低い(少なくともそう評価されている)からこそ貧困に陥っているのに、その原因に対する手当てなしに金銭だけが給付されても、何の根本的な問題解決にもならないだろう。

■「ベーシック・インカム的な福祉国家」の可能性

 以上のように、私自身はベーシック・インカム論については、もし部分的な導入以上のもの(完全ベーシックインカムおよび負の所得税)を考えているとしたら、現実の政策としては全くのナンセンスだと考えている。

 しかし、再分配の規範的な哲学としては、ベーシック・インカムは割合によく出来ているとも評価している。だから矛盾するようだけど、この哲学を基礎にして、現実には福祉国家的な制度的な再分配で対処するというのが好ましいと考えている。

 ベーシック・インカム論に飛びつく貧困運動の当事者には、「努力」や「働く意志」の名の下に貧困者を暴力的に排除してきた、これまでの社会保障制度のあり方に対する問題意識も多分に含まれている。確かに既存の福祉国家にも、少なくとも日本におけるそれ(「開発主義国家」と呼ぶほうが適切だろうが)には、労働や社会参加を事実上強制したり、分配が恣意的・選別的になってしまうような要素が存在していた。そしてそのことは、結果的に政府への不信感を醸成する原因にもなっていた。ベーシック・インカムには、こうした福祉国家の問題点を不断に修正していくための、規範的な哲学を提供する役割を期待したいのである。 

 この「ベーシック・インカム的な福祉国家」というのは、確かに論理的には根本的な矛盾であり、個人的にもまだ全く整理できていない問題だが、とりあえず今のところは、この方向性で再分配の問題を追及していこうと考えている。

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コメント

はじめまして、ベーシックインカムの一つのあり方として、累進課税を上げるなどの行政の税収を上げた元、全ての人に一定金額の給付をするという形はどうかについてはどうなるか考えて頂きたいです。

例えば、主婦は賃金はありませんが家事を主だって行うなど働いています。そこに荒い賃金の当て方ですが、ベーシックインカムによる給付を行う。

低所得者は、おそらく低所得者同士での交流が主になるでしょう。その交流に商業的なカウンセラーやセラピスト的な要素も含まれているのではないでしょうか。低所得者で孤立した時、犯罪を起こしやすくなる。または、うつ病など病気になる。犯罪予防や犯罪が起きた後の被害や処理費用、病気の治療にかかる保健費用、周囲への負担を考えた時、交流すること自体を働くとみなし、給付を行うのは悪くないと私は思えます。

また、雇用については、企業で働かなくても生活していけるのであれば、働き手確保のために企業は職場環境をよりよいものするようになるのではないか、より多様な文化が育つのではと期待してしまうのですが・・・。

投稿: nagawari | 2011年8月27日 (土) 20時32分

歯並び悪い低学歴は笑うな不気味

大企業に入れない奴隷階級は介護でもしてろ

在日ですか?

投稿: 低学歴ほど外国で暮らしたことがない | 2015年1月22日 (木) 12時00分

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