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2009年11月

北欧モデルは日本に適当なのか

再び勝間和代氏ネタであるが、彼女が毎日jpで行っている「クロストーク」における読者のベストアンサーから。

 貧困率が世界最下位の北欧の国、デンマークで働いている者です。
 
 デンマークでは、法人税を一律25%と低く据え置く一方で、所得税は最低でも45%、最高で67%と世界でも最も高い水準に保たれています。課税最低限も低く置かれているため、短時間労働者も含めてほぼすべての労働者が45%以上の所得税を支払っています。
 
 課税は世帯単位ではなく個人単位で、配偶者控除や扶養控除などの世帯を前提にした控除もありません。この個人単位の課税は、労働参加率が高い(共働き率は90%以上)ことにより可能になっています。
 
 消費税は一律25%で食品や子供用品などに対する減免もありません。新車に対する課税(本体価格の190%)、ガソリン税、たばこ税なども他の先進国に比べ非常に高い水準にあります。
 
 健康保険料や年金、失業保険は基本的に税金として徴収されているため、これらへの別立てでの支出はごく限られています。
 
 例外なく国民から広く税金を徴収し、これを財源に積極的に政府が所得の再分配を行っているため、人々の政治に対する関心は非常に高く、国政選挙の投票率は常に90%近くまで達します。ただし、減税・増税といった単純な議論が票を分けることはなく、再分配の方法を含めた社会システム全体に人々の関心が集まります。
 
 シンクタンクなどの調査で、毎年のようにデンマークは「世界一幸福度の高い国」に選ばれますが、積極的な所得の再分配を推し進める大きな政府の存在が国民の満足度に貢献しているのは紛れも無い事実だと実感しています。

http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2009/11/post-31.html#comments

 世界的な流れとして、これからは北欧およびオランダやデンマークなどにおける「ワークシェア」や「フレクシキュリティ」が雇用・福祉のモデルになっていくであろうこと、そしてそれが現時点で比較的に望ましいものであることは、まったく否定しない。

 これを一応スウェーデンなどを含めて便宜的に「北欧モデル」と呼んでおくことにするが、ただやはり、日本に適用するにはあまりに留保条件が多すぎるように思う。よく言われるのは国のサイズの違いということであるが、むしろより重要なのは以下の二点である。

 第一に、労働組合の組織率が非常に高く、経済政策に対する発言力も総じて強いことである。北欧モデルにおける労働者組織は、賃金のベースアップを求めるだけではなく、場合によっては賃下げや増税政策に全労働者を従わせる力を持っている。「ワークシェア」や「フレクシキュリティ」が可能になっているのは、労働組合の組織力の強さ抜きには語れない。

 それに対して日本では、労働組合の組織率が低い上に、世間からは「既得権益層」と見られがちで、非正規を含めた広範な労働者の利害を代表しているとは思われていない。そして労働組合が出来ることも、せいぜい賃金の微々たるベースアップでしかない。このように、経営者に比べて労働者団体の発言力や正統性が圧倒的に弱い条件で「北欧モデル」を導入すれば、「ワークシェア」や「フレクシキュリティ」が経営者側による一方的な賃下げを招くだけではなく、労働者の側にも劣悪な条件で働かされるよりも国の福祉に頼って細々と生きていくほうがいい、という態度を蔓延させ、結果として財政を崩壊させることになるだろう。「北欧モデル」がうまくいっているとしたら、それは安易な賃下げや解雇を労働者組織が抑制しているからである。

 第二に、そもそも公的サービスの質や、それに対する国民の期待値もあまり高くないことである。北欧在住の日本人のブログを読むと、行政の対応は日本に比べても遅く、病院も行ったその日に受診できるということは基本的にないなど、「間違いなく日本より不便」であると断言している(http://plaza.rakuten.co.jp/gaksuzuki34/diary/200712300001/)。官僚や医者も、一部のエリートを除けば、日本に比べても社会的な威信は低いと言われている。

 要するに北欧モデルは、あくまで教育や医療などの基本的な生活コストについての心配がいらないかわりに、サービスの質を高めようという意欲は無に等しく、また国民の多くも特に期待していないのである。それに対して、行政や病院の懇切丁寧な対応を当然視している日本人が、とくに国際的にみて少ない公務員や医者の人数を相当に劇的に増やすことなしに北欧モデルを導入すれば、一体どうなるだろうか。膨大な要求やクレームによって、現場の負担がとても耐えられないものになることが、容易に予想されるだろう。

 つまり、北欧モデルを日本に導入するためには、増税や行政・医療の従事者の人員増加はもちろんのことであるが、労働組合の組織力を高めることと、そして行政や病院など公的サービスへの期待値を下げることが必要になる。「ワークシェア」「フレクシキュリティ」を称揚する人のなかには、労働組合をやたらに「既得権益者」扱いして批判したり、「官僚組織の無駄」を大声で言い立てるような人もいる。まったくの支離滅裂としか言いようのない議論だが、いまの民主党政権と日本の世論は、全体としてこの方向に流れているように思われる。

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インフレ政策論争についての雑感

国家戦略室への提言「まず、デフレを止めよう~若年失業と財政再建の問題解決に向けて」  勝間和代公式ブログ

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上記の説明について、菅大臣との主たる質疑応答は、以下のとおりでした。

Q1 非常に魅力的な提案だが、それは要は、貨幣発行量を増やし、国債を発行すると言うこと

A1 そうです。モノに比べて、貨幣が足りない状況なので、国債と引き替えに貨幣を発行し、その国債を日銀が引き受けて、市場に供給する。その収入を、環境、農業、介護など、いま投資が必要な分野に投入します。

Q2 日銀に明日からやれ、といったら、やるのか

A2 はい、できます。必要だったら、私も一緒に行きます。日銀は国民から選ばれたわけではないので、迷いがありますから、選ばれている政府のリーダーシップと、今回の署名のような、国民の声の後押しが重要です。

Q3 こういうことを行いたいという声は党内にもなるが、国債を発行を増やすと、利率が上がって問題になるということが自分も含めて、懸念される

A3 すでに実質ベースで見ると、国債の利率はとてつもない高いことを理解すべき。利子率は名目ベースに物価の上昇・下落を合わせた実質ベースで見ないといけない。脱・デフレ対策を行えば、実質ベースの利率は下がる可能性が高い。

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http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2009/11/post-288b.html

 今や「時の人」である勝間和代氏が、民主党の国家戦略室のヒアリングでインフレ政策を提案したことで、ネット上を中心にインフレ政策論争が一挙に盛り上がっている。マクロ経済学をまともに勉強したことがないので、現在華やかに語られているインフレ政策が正しいのかどうかの判断はできない(そもそも私は、経済の専門家と呼ばれる人たちに対して全般的に不信感がある)が、あくまで外野から眺めているかぎり、推進派のほうが明らかに支持できるように思われる。というのは、日銀がインフレを起こせるのかどうかとかいうテクニカルな話ではなく、現在の日本経済の問題の所在に対する認識がより説得的であるという点にある。

 インフレ政策を推進する人たちは、現在の日本経済の根本問題を、若年層を中心とする需要不足に基づく需給のギャップにあると考えている。日本の潜在成長率はもともと高く、一次大戦後のドイツや現在のジンバブエのように、経済制度そのものが崩壊しているわけでは全くないから、ハイパーインフレを懸念する必要も全くないという、そういう理解に基づいている。だから、今の日本で緊急に必要なのは生産性を上げることではなく、インフレによって投資や消費のインセンティヴを高めて需給ギャップを解消することにある、ということになる。

 しかし、インフレ政策を批判する人たちは、要するに企業や労働者に競争力をつけさせなければインフレを起こしても何の問題の解決にもならない、という考え方をしている。だから新しい産業のイノベーションとか、より徹底した規制緩和とか、そうした「構造改革」のアプローチを好む傾向がある。実際批判派は、「現在の日本経済の問題は需要不足にあるからこそインフレ政策に反対する」という議論はほとんどなく、「潜在成長率」を高めることが最優先の課題だという認識に基づいている。

 インフレ政策論争そのものはどこか神学論争的であり、経済の専門家への幻滅感のほうがかえって強まるのだが、推進派と批判派の両者を比較すれば推進派のほうが説得的であることは間違いないように思われる。というのは、批判派たちの日本経済の現状についての認識が、明らかに適切ではないと考えるからである。そもそも、批判派が何を根拠にして「潜在成長率が低い」という危機感を持っているのかが、よくわからない(潜在成長率の国際比較というのがあるのだろうか?)。人口減については容易に条件を変えられるものではないし、技術力や消費サービスの水準も、実感やテレビ・新聞レベルの情報に接する限りでも決して低いとは思えない。日本の労働生産性の低さにしても、労働者の生産能力が低いのではなく、賃金以外のセーフティネットが薄いために長時間労働のインセンティヴが強くなっている、という説明が最も説得力がある。よって、不適切な現状認識から適切な経済政策が導き出されるとは思えない以上、批判派の議論は全く支持できるものではない。

 インフレ推進派の主張は、社会保障を中心とする「増税=再分配」による需要不足解消という私の考えている路線を、金融政策の側から実現しようとするものと理解することができる。いままでインフレ政策にはどこか懐疑的だったのだが、論争(というよりも「言いっ放し」なのだが)が盛り上がってくれたおかげで、インフレ推進派が何を言いたいのかが次第につかめるようになってきたし、デフレの解消が喫緊の課題であることも、今まで以上によく理解できるようになった。なかでも自分の頭で一番納得できたのは、ここで批判的に言及することも多いが、やはり飯田泰之氏の説明だったと思う(「潜在成長率と景気対策の余地」http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20091110

 ただし、テクニカルな面で根本的な問題を抱えている可能性については判断できないので、インフレ政策に無条件で賛成というわけではない。それに増税政策と同じで、「物価が上がる」という素朴すぎる世論に、どう抗していくかが課題となる。特に、ますます日本の世論の中心となる年金生活者層にとっては、むしろデフレによって物価が下がって預貯金の実質価値が上がることの恩恵のほうが圧倒的に強く、インフレ政策の中身を知るほど反発が強まる可能性がある。

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所得税よりも消費税のほうがよい、ということについて

所得税中心主義は正しいか

 いまだに日本では、増税そのものが言語道断という雰囲気がまだまだ根強いが、増税による再分配の必要性を理解する人たちの中には、その手段として、所得税の累進率を引き上げればいいという議論もある。立岩真也氏と飯田泰之氏がこの立場である。
 所得税累進率引き上げ論は、まずマスメディアでは消費税だけしか俎上に上っていないような硬直した議論へのカウンターとして、そして富裕層から貧困層への所得再分配にとって最も理にかなった手段として、かなり共感できるところも多い。しかし私は、所得税の累進率を上げるということ自体には全く異論はないものの、所得税中心主義にはどちらかというと批判的で増税の中心は消費税のほうがよいという立場をとっている。ここでは、そのことについて簡単に述べたい。半分くらいは権丈善一氏の受け売りではあるが。

■所得税よりも消費税のほうが現代の社会経済的な構造にマッチしている

 その理由は、この税制が日本国民の中間層の中の上層(つまり銀行員などの大企業正社員層)という、現在では比較的限られた層の所得を当てにしたものであるという点にある。飯田氏は経済上の論理から所得税を評価していて、その限りでは面白いとは思うが、現代日本社会の階層構造を完全に無視している。
 たとえば所得税だと低所得者だけではなく、一時的に滞在している外国人のビジネスマンや旅行者、そして定年退職した年金生活者がその徴収の対象から除外されてしまう。とくに「観光立国」を目指すとしたら(これ自体には否定的だが)、なおさら一時滞在者にも広く課税できるような方法が望ましい。要するに、所得税中心主義は、現役労働者による中間層が人口学的に分厚くて、しかも消費を含む経済活動の主要なアクターが自国民である、という想定ができる場合には適切な方法かもしれないが、それはもはや現在の経済のグローバル化と高齢化社会に対応したものではなくなっている、と考えるのである。
それに対して消費税は、こうした現代の社会経済的な構造に比較的うまくマッチしているものと評価することができる。またよく言われるように、所得税だと節税対策の余地がかなり大きく、この点でも消費税のほうがシンプルで節税の余地が少ない。

逆進的でも実質的に負担が減ればいい

 消費税だと税負担が逆進的になるという理解が広範にある。消費が冷え込んで景気が悪化するという批判も多い。しかし、こうした理解は根本的な点で間違っていると考える。飯田氏はともかく、社会学者で「再分配」の意義をよく理解しているはずの立岩氏も、逆進性を問題にしている点で大きな誤解をしている。
 何度も書いてきたが、増税というのは「負担増」ではなく、所得を再分配することによって社会的負担の偏在を除去し、社会全体の不安とリスク感を軽減するための手段である。だから消費税それ自体は逆進的でも、最終的に実質的な負担の軽減がより可能になるように分配すれば全く問題はないのである。分配する前の徴収の段階で逆進性を過剰に問題にすることは、あまり生産的な議論ではないと考える。
 現在の日本の問題は、正社員という身分が限定的かつ不安定になっているにもかかわらず、それ以外のセーフティネットがあまりに弱すぎるために、「将来不安」がきわめて強いものいなっている点にある。収入の多くを貯金に回し、日々の買い物は1円でも安いものにこだわり、それに乗じた小売業の安値競争が経済全体の停滞を招く、という結果になっている。
 だから最も必要とされることは、少々のことでは生活が破綻することはない、というセーフティネットを構築することである。つまり、一度職を失っても雇用保険と給付付き職業訓練が存在し、子供の教育費に対する公的援助も充実しており、介護保険の個人負担が軽減されてヘルパーの人員も増員される、といったようなセーフティネット政策によって将来不安を解消することは、日々の買い物の値段の1割上昇など消し飛んでしまうくらいの「負担減」であることは明らかだと考えるのである。「成長戦略」というと「成長産業」の優遇措置を指すことが多いが、再分配によって将来への安心感を確保させ、それによって消費の活性化を図ることも成長戦略の一つであり、少なくとも今の日本ではそれが望ましいことは明白であるように思う。

■税制は徴収の効率性が優先されるべき

 私の評価では、立岩氏は税制を倫理的に考えすぎている(その思考の軌跡から教えられることは非常に多いが)。もし「必要としているところに必要なだけ」を実現しようとすれば、分配のための原資が可能な限り確保できるということが優先されるべきであり、だから税制は最も効率的かつ豊富に徴収できる(しかもシンプルな)方法が望ましい。人頭税が現代社会で望ましくないのは非人道的だからではなく、徴収方法としてあまりに非効率的だからである。倫理的視点が要求されるのは、あくまで「ベーシックインカム」か「ワークフェア」かといった、再分配の段階においてであろう。
 立岩氏の『税を直す』で行っているシミュレーションだと7兆円の税収増だというが、これ自体が過大推計の可能性があるだけではなく、現在発行しようとしている赤字国債はその6倍規模であって、とても追いつけるものではない。消費税のシミュレーションについては知らないのが、過去の福田政権時代に31兆円の支出増のために消費税17%が必要だと発表されていたので(http://doughnuts.blog5.fc2.com/blog-entry-1745.html)、これを単純に信じるとすれば1%の増税だけで2.5兆円もの税収をが得られることになり、所得税よりも消費税のほうがはるかに効率的であるように思われる。
 食料品などの軽減措置も、再分配による負担の軽減がしっかりできるのであれば、むしろないほうが好ましいと思う。

■財政再建のための増税であってはならない

 増税というのは「必要なところに必要なだけ」という再分配を手厚くするための手段であり、ある程度の「大きな政府」の必要性を認めるものであるから、本来なら「福祉の充実」を掲げる左派勢力が積極的に提案しなければならない。
 ところが日本では、自民党内の財政再建論者と財界が増税を主張し、左派勢力がこれに全面的に反対するという、非常にねじれた構図になっている。このことは、「増税は財政悪化のしり拭いを自分たちに負わせるものだ」という誤解を国民の間に浸透させ、「その前に無駄はないのか」という拒否反応を強め、ますます増税が困難になるという悪循環に陥っている。与謝野馨は世論に抗して孤独に頑張ってはいたと思うが、財政再建を強調する戦略は全くの逆効果だったと思う。
 私は積極的増税論者だが、この「財政再建のための増税」、言い換えれば「再分配なき増税」政策については、ほぼ全面的に否定している。本来、再分配を重視する民主党政権が批判すべきなのは、この財政再建を自己目的化した増税路線であって、増税策そのものではないはずである。しかし現実は、「無駄の削減」を相も変わらず声高に唱えているように、民主党政権も自民党の誤りを上書きしているように思われる。

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