« 貧困解消のためには国民負担率を上げること | トップページ | 所得税よりも消費税のほうがよい、ということについて »

日本で自殺率が高いのはどうしてか

 日本の自殺率の高さについては、WHO精神保健部ホセ・ベルトロテ博士はこう言っている。「日本では、自殺が文化の一部になっているように見える。直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられている。これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向だ。」こうした点は当の国の人間では気づきにくい見方かと思われる。(自殺許容度と実際の自殺率との相関を図録2784に掲げた。)
 ロンドン・エコノミスト誌(2008.5.3)は女子生徒の硫化水素ガス自殺(4月23日)の紹介からはじまる「日本人の自殺-死は誇らしいか」という記事で日本の自殺率の高さについて論評している。経済的な要因についてもふれているが、記事の主眼は日本人の文化的な要因、あるいは社会的特性であり、上記の見方と共通している。「日本社会は失敗や破産の恥をさらすことから立ち直ることをめったに許容しない。自殺は運命に直面して逃げない行為として承認されることさえある。サムライは自殺を気高いものと見なす(たとえ、それが捕虜となってとんでもない扱いを受けないための利己心からだとはいえ)。仏教や神道といった日本の中心宗教は明確に自殺を禁じていたアブラハム系信仰と異なって、自殺に対して中立的である。」日本政府は9年間に自殺率20%減を目標にカウンセリングなどの自殺対策に昨年乗り出したが、重要なのは社会の態度であると結論づけている。「一生の恥と思わせずにセカンドチャンスを許すよう社会が変われば、自殺は普通のことではなくなるであろう。」
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html

 日本で自殺率が高い要因については、多くの人が興味関心があるところだろうが、真正面から取り組まれたということは意外に少ない。そこで、ここで個人的に思いついた仮説を簡単に論じていくことにしたい。

 上述の「データ図録」のデータを見ると、自殺率が高い社会は、社会主義といわゆる「開発主義」の体制をとってきた国に集中している傾向がある。つまり、旧ソ連諸国と東欧、そして日本および韓国などである。自殺の増大は「市場原理主義」による雇用の流動化と貧困の拡大のせいだという理解も時折見られるが、日本よりもはるかに「市場原理主義」的で貧富の差の激しい南北アメリカ社会では自殺は非常に少ないことからも、これは全く正しくない。なぜ自殺率が高い社会が、社会主義と開発主義の国に集中しているのかを、簡単に考察してみたい。

 社会主義国家と開発主義国家は、指導政党と政府が国民の全生活を手取り足取り面倒見るという、きわめてパターナリスティックな体制である。様々な政治的権利も社会保障も、ほとんど天から雨を降らすように、共産党や政治家・官僚によって上から一方的に与えられたものであった。日本の社会保障制度の歴史を見れば明瞭なように、それは完全に厚生官僚と岸信介・田中角栄といった「豪腕」政治家によって主導されたもので、左派政党や民衆運動の闘争の目標は、「革命」でなければ「安保」などの外交問題であり、長らく「福祉国家」に対してほとんど無関心であった。そして、日本においては貧弱であり続けた公的な社会保障を補完したのが、「日本型福祉」――企業組織による福利厚生、中小企業への財政支援、公共投資よる雇用創出――であった。
 
 社会主義と開発主義は、冷戦崩壊前後以降の経済の「グローバル化」によって激しく動揺することになる。その対応として、規制緩和や民営化などの新自由主義的な政策が採用され、それまでの手厚い雇用保障や公共投資は財政難と競争力低下の理由として大きく削減されていくが、このことが国民の間に広範な社会不安や絶望感を生み出すことになった。というのは、それまでパターナリスティックに国民の生活を手厚く保護していた指導政党や政府が、「グローバル化」や「国際競争力」というそれ自体はもっともな理由の下で、何の前触れもなく一方的に上から雇用保障や公共投資などの役割から身を引いてしまったからである。

 社会主義・開発主義体制の下にあった国民は、何の心の準備もないまま、この現実に突如として直面し、どう対応したらよいのか全くわからなくなってしまった。それは、何も考えずに母親に全面的に依存して安心してきた子供が、何もできないままいきなり荒野に放り出されたようなものである。これは単に社会保障の権利を失ったというだけではなくて、まさに「世界」そのものから見放されたかのような絶望感をもたらすことになったのである。

 アメリカのような自由主義的な体制であれば、グローバル化は自らの個人主義・競争主義的な生活様式の延長線上にあるので、それが不安や絶望を招くということは基本的にない。北欧のような社民主義的な体制も、組織力の高い労働組合が企業・政府との交渉を通じてグローバル化に対応した「福祉国家」の再編を行うことで、社会保障のセーフティネットを維持することができた。

 これに対して、指導政党と官僚のリーダーシップに依存してきた社会主義と開発主義の国では、国民の生活態度が競争社会に全く対応しておらず、さらに労働組合やNPOなどの社会運動の力が非常に弱いため、企業と政府による雇用保障と公共投資の一方的な削減を阻止すること(そしてそれに代わる社会保障の仕組みを要求すること)ができなかった。結果として、まさに子供が荒野に放り出されるような全く無防備な形で、新自由主義的な個人化された競争社会に立ち向かわなければならなくなったが、それは多くの人にとって絶望的なことであった。

 以上のようにここでは、社会主義と開発主義というパターナリスティックな体制の伝統の下に、グローバル化による新自由主義的な政策を導入しようとした社会で自殺率が高くなる、という仮説を提示した。日本の自殺率の高さもこの世界史的な文脈で理解すべきであって、過剰に日本の特殊事情に求めるべきではないと考える。断わるまでもないかもしれないが、自殺率が高い社会が「悪い」「歪んだ」社会の指標である、というわけでは必ずしもない。自殺率の低い社会では、逆に他殺率の高い傾向がある。

 日本に固有の特徴を挙げるとすれば、50・60代の自殺と、地方・農村部での自殺が多いことがある。この背景には色々あるだろうが、一つには旧来は企業組織と公共事業によるパターナリスティックな生活保障がきわめて手厚かったことの裏面として解釈することができる。上述の記事のように、自殺率の高さを「日本文化」で説明しようとする議論が多く、私自身もその誘惑に釣られてしまうのだが、結局それは何も説明したことにはなっていないので、可能な限り避けるべきであると考える。 自殺許容度と自殺率の高さも、「データ図録」では強い相関があることになっているがhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2784.html、データを冷静に見ればそれほど強い相関はないと思う。

|

« 貧困解消のためには国民負担率を上げること | トップページ | 所得税よりも消費税のほうがよい、ということについて »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

スペース失礼します。

Change.orgにて安楽死に関する署名活動を行っています。賛同いただける方はご署名お願いします。

http://goo.gl/epuQJ

投稿: 匿名 | 2013年7月17日 (水) 03時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1236734/31998078

この記事へのトラックバック一覧です: 日本で自殺率が高いのはどうしてか:

« 貧困解消のためには国民負担率を上げること | トップページ | 所得税よりも消費税のほうがよい、ということについて »