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排外主義と社会階層

【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ

http://www.youtube.com/watch?v=tTyANPKCczc&feature=player_embedded

 不明を恥じるようだが、日本でこうしたわかりやすい排外主義運動を見るとはつい最近までは思ってもいなかった。この運動が今のところ、ごく一握りの人々による脆弱なものであることは明らかだが、主張している内容そのものは『嫌韓流』やネット上を中心に語られてきたものであり、一定のシンパサイザーを背景にしていることは確かだと思われる。排外主義にシンパシーを抱きやすいのはどのような層なのか、ここで簡単に仮説を構築してみたい。

・コスモポリタンな富裕層・新中間層

 90年代末以降の「構造改革」の中で力を伸ばした富裕層・新中間層は、現在の政治・経済をリードしているので、そもそも国家の制度的な支援や保護に依存する必要性が少なく、外国人を排除して「日本人」だけに権利を制限しようとする動機が弱い。総じて移民受け入れにも積極的である。もちろん、財界や政治家のなかには「愛国」を掲げる保守主義者もいるが、それは現行秩序の維持か外国との経済的・軍事的な競争を念頭に置いたもので、基本的には排外主義的なものではない。

・生活保守主義的な旧中間層

 高度成長期以来の終身雇用システムを享受してきた正社員層や年金生活者などの旧中間層は、90年代以降に生活水準が緩やかに下がっており、年金など国家の社会保障制度への依存がそれなりに強い。そのため、自らが現状得ている権利の維持を切実に望む傾向があり、これが経済の悪化や社会保障制度の「破綻」を背景にして、外国人に対する排外主義的な世論を構成する可能性はある。しかし一方で、彼らは生活を破壊してしまうような過激な行動は全く望まず、団塊世代中心に人口や投票率が高いので、この層の利害関心は選挙結果にも反映されやすい。そして、この層が最大の顧客であるマスメディアもこの層の感情を代弁した議論が多く、敢えて排外主義のような極端な動きに飛びつく必要性がない。

・「日本人」以外に何ももたない不安定低所得層

 問題になるのは、2000年代になって急増した非正規労働者と低賃金正社員のような不安定低所得層である。彼らの職場は労働基準法以下であることは当たり前で、上司に不満や要求などを口にできるわけもなく、地域社会に依存できる人もほとんど珍しくなっている。さらに悪いことに、国家による社会保障制度の生活上の必要性が極めて高いにも関わらず、健康保険や年金すら満足に払えていない人が多い上に、利害関心が人口や投票率の面で選挙結果に反映されにくいことである。先にも述べたとおり、既存のマスメディアは団塊世代を中心とした旧中間層に配慮したものである。

 こうして不安定低所得層は、職場では全く無力であるだけではなく、自らの苦境について政治からもメディアからも全く無視されているというルサンチマンを潜在的に抱えている。もちろん、彼らの利害関心を代弁する議論は新書やインターネット上において一定数存在するが、そうした言説を目にするのは所詮は一握りにすぎず、一般レベルにおいては「自己責任」言説が依然として根強いものがある。

 それでは、不安定低所得層が自らの利害関心を代表しようとするためにはどうすればいいのかというと、それは「自分たちも同じ日本人である」ということになる。つまり、「日本人」であるという以外に自らの困難を訴えるための正当性の資源を何一つ持たない彼らは、容易に排外主義的な言説にシンパシーを抱きやすい性質をもっているのである。

 そもそも、「新自由主義」を批判する言説はそれなりの知的能力を要求するが、「日本人」であることには何一つ知識は必要なく、それに賛同するための敷居がきわめて低いという利点がある。「在日」それ自体は実のところどうでもよく、「日本人」であることの手応えを得るために、あらためて呼び出された仮想敵に過ぎない。

・「特権」とはかつての「日本人」の生活水準

 そして、この排外主義は、社会経済的な利害関心とも絡み合っている。「在特会」の会長の話では、在日が年金の受給権を主張したことへの憤りが会の設立の動機であったという。これが事実かどうかはわからない。しかし重要なのは事実かどうかよりも、これが今の日本国民の世論感情に訴えると彼が確信していたことなのである。つまり、年金というのは言わば旧来の安定正社員の身分を象徴する制度であるが、現在は「普通の日本人」でも当たり前のようには享受できない「特権」になっている。その「特権」に、「在日」であるというだけで平然と要求できるという態度に対する、「普通の日本人」のルサンチマンが排外主義的感情の根底にある。

 つまり「在特会」のいう「特権」というのは、そう遠くない昔には「日本人」であれば当然のように享受できた(と少なくとも思われている)権利や生活水準、ということを意味している。その意味で、「在日特権」を批判する排外主義者は今のところごく一部にすぎないが、「公務員特権」を批判する一般世論と気分としては緩やかにつながっていることがわかる。

・排外主義は社会的な弱者の叫び声

 以上のように、社会経済的な階層問題から、排外主義の問題についての大雑把な枠組みを提示してきた。

 富裕層が移民受け容れに大きく賛成し、旧中間層と低所得層に強い拒否反応があるように、弱者の立場から開放的な社会を構築するというのは、移民受け入れを推進するジャーナリストや学者が考える以上に困難である。誤解を恐れずに言えば、排外主義は「日本人」であること以外に自らの存在の正当性を示すことのできない、社会的な弱者の痛切な叫び声と言ってよい。だから排外主義を唱える人を私は徹底的には憎めない。

 むしろ、移民を積極的に受け入れて経済を活性化し、少子化問題を解決すべきだなどという、一部の富裕層や政治家の発言にこそ強い憤りを感じる。排外主義のための燃料を投下しておいてコスモポリタンを気取る彼らは、現実の移民がどのような生活の困難に直面しているのかについては無知である以上に関心すらなく、実のところ排外主義者以上に残酷であると言うべきである。

 民主党は移民や在日外国人への開放路線をとっているが、経済や生活の問題と切り離したところで政策を行えば、必ず激しいバックラッシュを引き起こして破綻することは、是非とも肝に銘じてほしい。

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