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「負の所得税」批判

 柄にもなくフーコーの本を読んでいたら、「負の所得税」の話が出てきて、それで負の所得税のグロテスクさがなんとなくわかってきた。

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  前のエントリで、負の所得税が労働インセンティヴを制度的に操作しようとしている点を批判したが、より根本的な問題点は、負の所得税が現行の経済システムそれ自体については全面的に肯定してしまうことである。今の労働・雇用問題の大部分は、あきらかに不適切な規制緩和による過当競争と雇用の流動化にあるのだが、負の所得税論はそれ自体を問題にしようとしない。つまり、経済システムのあり方を問題視するのではなく、そこから必然的に発生するネガティヴな効果への金銭的な手当をすればいいだけ、というわけである。

 雇用の流動化は避けられないからベーシックインカムと負の所得税を、というのは理屈としては明快そのものだが、本当にそれでいいのだろうか。流動性を止めることはできないし、またすべきでもないのかもしれないが、適正水準に緩和することぐらいのことは試みてよいのではないだろうか。それが出来ないほど政治とは、そして人間とは無力なものなのだろうか。私はそう思わないというか、そう考える必要はないと思うのである。

 要するに、私が負の所得税に同意できないのは、経済システムそれ自体を是正していくという道を、最初から放棄しているからなのである。負の所得税は社会を編成する根本原理が市場経済であり、この原理は1ミリたりとも曲げてはいけないということを大前提にしている。別に社会主義を目指せというのでは決してなく、20世紀を通じてどの国においても「社会政策」というものは、市場経済とは別の論理をもちこむことで国民生活を安定化させる、ひいてはそのことが市場経済それ自体の信頼性を高めていく、というものだったはずである。福祉国家論の用語で言えば「脱商品化」である。言うまでもないが、これは自由経済の否定や規制強化を意味するものでは決していない。

 ベーシックインカムは哲学・理念としては支持しているが、負の所得税については、あまり積極的には賛成できない。19世紀イギリスのスピーナムランド制度は負の所得税の近いが、その経験が示しているのは、経営者による安易な賃金切り下げや解雇が横行してしまうことである。モラルハザードなどよりも、こっちのほうがはるかに心配すべき問題であり、そうなると労働現場では、濱口氏の唱える「産業民主主義」の存在する余地など、全くなくなってしまうだろう。全国的な労働者組織が強力な社会であればまだしも、連合が大企業高齢正社員の組織としか見られていないような日本では現実的ではない。

 ベーシックインカムを唱導する人の間でも、負の所得税に関しては意見が分かれているようである。哲学はベーシックインカムで、具体的な方法はワークフェアで、というのが私の今のところの大雑把というか、いい加減な考えであるが、これについてはそのうち。

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