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現代日本の引き下げデモクラシー

「俺たちの負荷を減らせ」ではなく「あいつらの負荷を増やせ」

まさしくwww。それにしても、日本人の横並び主義ってなぜかいつも「ネガティブな側に横並びw」させたがるからな。「俺たちの給料を増やせ」ではなく「あいつらの給料を減らせ」。「俺たちの負荷を減らせ」ではなく「あいつらの負荷を増やせ」。「俺たちの休みを増やせ」ではなく「あいつらの休みを減らせ」みたいに。どうにも「みんなで」不幸の横並び状態をキープしてないと気が済まないみたいだなw。

マジでこのネガティブ思考はどこからやってくるんだ? クソ労働環境で連日のように搾られ続けると、みんなwが同じように苦しまないと気が済まない、誰か楽な思いをしてるヤツがいると許せない、職場の和wを乱して定時で帰るヤツが許せないって感じで自発的wな社畜思考が芽生えて来て、一番キツい側に横並びさせたがるヤツがいるのか? ああ、クソ経営者の一人勝ちはまだまだ続きそうだw。

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-279.html

 これを読んで思ったのは、2000年代以降の政治というのは、「横並びの苦労」という言葉に集約できるのではないかということ。

 つまるところ、日本で文字通りの「新自由主義」が国民の多数派に支持されたことは、ただの一度もない。財界や一部の経済学者における市場主義的な「構造改革」は、「市場競争で苦労せず安穏としている」公務員などの「既得権層」に対するルサンチマンの感情を、一時的に代弁していただけに過ぎない。これに国家というだけで嫌悪感を示してきた、社民主義的な活動家や学者たちが、無自覚な形でこうした「構造改革」に乗っかったこともあって、日本の政治全体が「新自由主義」化したかのような風景が2000年代初頭に出来上がった。

 だから、「構造改革」が今になって手ひどいバックラッシュに遭っているのは、まったく不思議なことではない。とくに「痛みを伴う改革」を最もラディカルに唱えていた人たちが、選挙区を息子に世襲したり、大学教授の椅子におさまって平然としている現実は、国民の感情を大きく逆なですることになった。つまり、国民は彼らを「横並びで苦労する」仲間だと期待していたのに(もちろんそんな期待をかけたほうが愚かだったわけだが)、実際はそうではなかったことに深く失望してしまったわけである。かつての構造改革論者が、さらに世論の感情を逆なでするように今なおテレビで歯切れよく持論を展開している姿を見ると、彼らが「構造改革」に支持を与えていたこうした国民の心性を全く理解できていなかったことは明らかである。

 しかしこの失敗にも懲りず、大阪府の知事のように「横並びで苦労」してくれそうなリーダーを、相も変わらずも求め続けているという現実がある。日本の世論が、潜在的な志向性としては明らかに「大きな政府」なのに、政治的には「小さな政府」を支持してしまう理由も、おそらくはこの「横並びの苦労」という点に求められるように思われる。

 これは明らかに丸山眞男の言う「引き下げデモクラシー」なのだが、異なるのは引き下げのターゲットが特権的富裕層ではなく、公務員を象徴とする中間層という点にある。この解釈は難しいが、一つには、昔は富裕層の多くは特権身分によるもので、貧困層よりも「苦労していない」ということが自明だったのに対して、今は富裕層は経済の最前線にいて、生き残り競争で必死に働いているという風景が一般的である、ということが考えられる。

もし、前者が戦後の「総中流社会」を準備したとすると、後者は格差社会化をますます加速させることになるのだろうか。このような、自分で自分の首を絞め続けるような悪循環はいつ終わるんだろうか。

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