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大きな政府こそが時代の流れ

小さな政府で高福祉社会

税金や社会保険費用の負担は小さい。

ただし、国は福祉のみにしかお金を使わない=国土開発や産業政策にお金を使わない。また福祉に使う場合も、直接配布を基本とすることにより公務員の数を減らし、公的な“建造物”も作らない。

=例:失業者には失業保険として現金を支給する。が、ハローワークは存在せず、失業者はリクルートなどの民間人材紹会社や求人誌で仕事を探す。公営の老人ホームや病院を作るのではなく、お金のない人に直接現金を支給する。そのお金で民間施設や民間病院にいって貰う、という方式。

国が国土開発や産業政策を手がけないので(それでも一定の経済成長やインフラ整備が行われるためには)、徹底した規制緩和や市場主義の導入、一定の割り切り(外交的・軍事的な大国になることをあきらめる。田舎と都会は便利さが異なることを受け入れるなど)が必要。

(中略)

つまり、「大きな政府」とは、「公務員が多い」「公的な建造物が多い」システムのことです。「高福祉な社会」を「大きな政府」と呼ぶわけではありません。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090727

この文章はあくまでネタとして。ここで批判するつもりは特にない。

何度も繰り返すように、日本がOECD諸国との比較において「大きな政府」と言える側面は、あくまで「公共事業」だけである。他の指標、公務員の数や税収のGNP費などは圧倒的に「小さな政府」であることを示している。公共事業政治は、日本が「大きな政府」であるかのようなイメージを形成するのに貢献しているが、事実から言えば、公共事業政治が日本が「大きな政府」になることを阻止してきたのである。

私は小さな政府による高福祉社会などは、政治哲学上の思考実験としてはともかく、現実には基本的にありえないと考えている。ベーシックインカムは「小さな政府・高福祉社会」の基本的制度であるが、これは50年かけて築き上げてきた社会保障制度を大きく切り崩さなければ無理であるし、なにより「何もしていない奴に無償給付なんて」という、おそよ抗しがたい一般常識というものがある。だから現実に不可能なことを、まじめに議論するつもりにはなかなかなれない。ところが、自民党の一部の良識的な人たちを除くと、民主党に典型的なように、小さな政府による高福祉社会を(ベーシックインカム論抜きで)声高に唱える人が後を絶たない。

民主党の方向性は、①官僚を政治決定の場面から排除する、②公務員の人件費を減らす、③税金は一切上げないという点において、明確に今まで以上の「小さな政府」の方向性を歩んでいる。これが現実に実行された場合、①については民主党議員の実力如何というほかないが(個人的には悲観的であるが)、②については公務員の仕事が今まで以上に激務になって「官製ワーキングプア」が激増し、③は社会全体で財源不足が深刻化するようなることは、誰の目にも明らかであろう。そして、これと「福祉充実」との現実の矛盾を埋め合わせるために、結局のところ「民営化」と赤字国債発行という従来のアプローチが総動員されることになる可能性が高い。

実際、知事選では福祉と官僚批判を語っていた大阪府の橋下知事が、歳出削減を自己目的化したラディカルな「小さな政府」路線を突き進んでいるところを見るとそう思わざるを得ない。いわゆる団塊世代を中心とした「没落する中間層」が、依然として中間層としての地位を磐石に維持している(ように見える)公務員へのルサンチマンを募らせているが、彼らは潜在的には従来のような日本型福祉国家への回帰と再建を切望している。橋下や民主党の(当人もどこかでナンセンスだと理解している)「小さな政府・高福祉社会」という現実不可能な路線は、このようなルサンチマンに満ちたノスタルジーによって力を得ている。

日本の社会保障制度は、官僚の強力な主導よって(民意とはほとんど無関係に)導入されたものの、具体的には国家というよりも家族・地域、企業組織そして公共事業などが担ってきたという歴史がある。ヨーロッパの福祉国家がモラルハザードの問題で悩まされていた1980年代には、むしろ「日本型福祉」がもてはやされていた時代もあった。しかし90年代末になると、長期不況と少子高齢化のなかで、企業や公共事業による福祉に依存し続けることが既に非現実的になった。

そこで日本は、西欧・北欧のような消費税による国家の再配分機能の強化か、それともアメリカのように規制緩和と民営化による行政のスリム化と歳入の増大を期待するのかという二つの選択肢のなかで、後者を選択した。もともと自民党が親米政権であったというだけではなく、開発主義国家体制における企業と公共事業による福祉はアメリカ型と親和性があり、何より社会保障制度を官僚によって上から与えられた経験しか持たない一般の国民が増税に対する激しい拒否反応を示したからである。

しかし、規制緩和と行政スリム化路線は、今のところあまり上手く行っていないどころか、財政の健全化にほとんど寄与していないというのがアメリカの経験であり、またこの10年の日本の経験であった。医療や介護というのは顧客を無限に増やせないし、貧困者も相手にしなければならない以上、民間企業に委ねるのは不適切という以上に酷なのである。「改革をしなければもっと悪くなった」としか言えていない「構造改革」論者のよく語る弁明が、いみじくもこの政策に根本的な限界を孕んでいたことを示している。そもそも一般の国民も、いわゆる「新自由主義」路線を支持していたわけではなく、官僚などの「既得権層」が「自ら血を流す」ことを求めていたに過ぎない。

だとすれば、国家の再配分機能の強化という道を歩む以外に、もはや選択肢はないはずだろう。「小さな政府は時代の流れ」と言う人がいるのだが、少なくとも上の②と③については「大きな政府こそが時代の流れ」だと断言しておきたい。これは官僚政治批判と矛盾するものでは決してないし、むしろその条件ですらあるとここでは言っておきたい。

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コメント

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突然、失礼しました。
cJskFdLO

投稿: hikaku | 2009年8月 3日 (月) 15時29分

興味深い内容です。開発主義が日本のこれまでの路線であるというのはなるほどと思いました。わたしも日本は基本的に大変小さな政府としてやってきたと思います。消防団しかり、民生委員しかり、病院も民間病院主体です。官民共同で開発のために官僚の指示にしたがって団結してきた、ということでしょうか。民は全体の利益を考えるという視点がなかなか持てないのも、官主導という伝統なのかもしれません。今後、民も公益を考えて官と協力するということも必要なように思いますが、今まで自分たちの利権を守るということを中心に考えてきた民にはかなり難しい課題のようにも思われます。

投稿: masa | 2016年1月 9日 (土) 18時43分

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