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ベーシック・インカムは「溜め」につながるのか?

前々回の話題の続き。

『経済成長ってなんで必要なんだろう』における飯田泰之氏と湯浅誠氏の対立点は、私の考えでは「溜め」の具体的な内容に対する理解に求められる。飯田氏は湯浅氏の「溜め」の理解に全面的に賛同しつつ、それをベーシック・インカム(最低所得保障)によって回復させるべきだとという立場をとっている。

しかし根本的な問題は、ベーシック・インカムが本当に「溜め」につながるのか、ということにある。飯田氏の言う「負の所得税」という方法は、確かに論理としては明快である。しかし注意しなければいけないのは、湯浅氏の言う「溜め」というのは、仕事を紹介しくれる知人がいるとか、いざとなったら食事をおごってくれる先輩がいるとか、そして雇用保険や生活保護といった公的な社会保障制度とか、そういう「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」全般を含むものであることである。

ベーシック・インカムというのは、最低限の給付をしたらあとは全て個人の選択と自助努力ということになるが、それは湯浅氏に言わせれば相変わらず「溜め」のない状態だということになる。同じ額の所得保障を受けても、いざとなるときに頼りになる家族や友人がいなければ、その先の生活状況がまるで異なるものになるからである。湯浅氏の理解では、貧困の問題というのは単純に所得が減ったということではなく、具体的に「頼れる人」が周囲にいなくなってしまうことである。そして、こうした「溜め」の大小の差を埋めるためには、単純な所得保障だけでは不十分なのであって、職業紹介や職業訓練といったものを通じた、行政やNPOなどによる具体的な形での「手助け」が必要になるのである。飯田氏はそういう手助けは基本的にはお節介でしかないという立場らしいが、民間企業がこれらのコストを負担したがらないことを非難できない以上は、こうしたお節介も不可欠ではないかと考える。

他にもベーシック・インカムに対する疑問はいくつかある。一つには、湯浅氏が言っているように実現可能性の問題である(実際負の所得税は世界でも部分的にしか実行されていない)。正直本書を読んでも、飯田氏がこの根本的に重要な問題で悩んでいる形跡があまり見られない。困難でも声を上げて主張し続けることが重要という立場でもなく、素朴に実現可能だと思っている節があるが、それは政治制度についてまじめに考えてないとしか言いようがない。

そしてもう一つは、「負の所得税」が労働インセンティヴを与えるという(もともとフリードマンの)発想への違和感である。この発想にはなるほど思う反面、やはりそれは手の込んだ形での強制でしかないのではないか、という疑問が残るのである。制度によって人のインセンティヴを操作しようとするという発想は、どこかグロテスクである。やはり、現場の労働条件を改善することで働く人が増えるという、当たり前のプロセスを踏むほうが健全で現実的ではないだろうか。少なくとも、「自由」で風通しのよい社会というものを考えた際に、負の所得税がそうした社会への道筋をつけるようにはあまり思えないのである。

私の言っていることは、ある意味では退屈かもしれない。しかし飯田氏の議論への根本的な違和感は、それがあまりに鮮やか過ぎるために、理屈としては理解できるにしても、どうしても専門外の人間から見ると現実を無視した飛躍だらけの論法に見えてしまうことにある。その意味で社会経済学や政治経済学と呼ばれてきたような、飯田氏からすれば「役に立たない」経済学のほうが、はるかに信頼できるという印象は本書を読んでも基本的には変わらなかった。飯田氏の議論は、依然として人々の経験や実感の偏りや間違いを専門家の視点から正すという態度にとどまっているように思うが、本当に自らの主張を世論に説得しようと思うのなら、人々の経験や実感にきちんと届くような議論を模索していく必要があると考える。

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